大阪地方裁判所 平成7年(ワ)1979号 判決 1997年4月25日
原告
蟻通孝明
右訴訟代理人弁護士
土井平一
被告
日本電信電話株式会社
右代表者代表取締役
澤田茂生
右訴訟代理人支配人
浅田和男
右訴訟代理人弁護士
真砂泰三
同
岩倉良宣
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は、原告に対し、四二二〇万円及びこれに対する平成七年一月一日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告社員であった原告が、平成六年一二月三一日に希望退職したことを理由に、被告に対し、退職金四二二〇万円及びこれに対する退職日の翌日である平成七年一月一日から支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めたのに対して、被告は、平成六年一二月二八日、原告を懲戒解雇しており、退職金の支払義務を負わない旨主張して争った事案である。
一 当事者間に争いのない事実
1 原告は、昭和三九年四月、被告の前身である日本電信電話公社に入社し、平成三年四月からは、被告神戸支店公衆電話部部長として、テレホンカードの販売・管理に従事していた。
平成六年三月一日、NTTグループの組織変更により、被告の公衆電話部が解散し、テレホンカード販売・管理部門が株式会社NTT西日本テレカ(以下「新会社」という)に移行するに伴い、原告も、新会社の神戸支店長に出向した。
原告は、平成六年一二月二六日、被告関西支社総務部担当課長に任命された。
2 被告は、平成六年一〇月、合理化政策の一環として、希望退職者を募集していたところ、原告は、被告に対し、同月三日、退職予定日を同年一二月三一日として、希望退職を申し出た。
右希望退職が認められた場合の退職金額は、退職手当三〇八〇万円、転身特別一時金六三〇万円及び希望退職一時金五一〇万円の合計四二二〇万円であった。
3 被告は、平成六年一二月二八日、原告に対し、原告を懲戒解雇する旨の意思表示をした(以下「本件懲戒解雇」という)。
その理由は、原告が、余剰在庫テレホンカード一万枚(五〇〇万円相当。以下「本件カード」という)を、余剰原因を究明することなく、本来のテレホンカード保管場所である公衆電話部テレホンカード保管金庫から被告会社施設外である社員宅に移し、保管依頼を受けた社員家族からの申告がなされるまでの間、隠匿した行為は、後記6の就業規則六九条一、二、七及び一一号に該当し(以下「本件懲戒理由」という)、その情が極めて重いということだった。
4 原告は、その経緯について原告被告間に争いがあるものの、平成六年、本件カードを、被告神戸支店公衆電話部の事務所(公衆事務室。以下「事務所」という)から、同支店公衆電話部第一公衆電話担当の平山理子社員(後に婚姻により「藤岡」に改姓した。以下「平山」という)宅に持ち出した。
5 被告は、本件懲戒解雇を理由に、原告に対し、退職金を支払っていない。
6 被告の就業規則(書証略)の関連部分は、以下のとおりである。
(一) 就業規則六九条は、一号「法令又は会社の業務上の規定に違反したとき」、二号「職責を尽くさず、又は、職務を怠り、よって、業務に支障をきたしたとき」、七号「業務取り扱いに関し不正があったとき」、一一号「社員としての品位を傷つけ、又は、信用を失うような非行があったとき」には、懲戒されることがある旨定める。
(二) 同七〇条は、懲戒の種類として懲戒解雇があり、懲戒解雇の場合、退職手当は、支給しない旨定める。
二 争点
1 本件懲戒理由の存否
2 本件懲戒解雇の相当性
3 本件懲戒解雇を理由とする退職金不支給の相当性
三 被告の主張
1 原告が本件カードを持ち出した経緯
(一) 原告は、平成六年一月当時、被告神戸支店公衆電話部部長というテレホンカードの管理責任者の地位にあり、テレホンカードの在庫の不符合の報告を受けた場合には、支店長に右事実を報告し、その決済を受けなければならないことになっていた。
(二) 平成六年一月中旬頃、原告の部下である被告神戸支店公衆電話部企画担当の小林社員(以下「小林」という)が、五〇度数のテレホンカード(ホワイトカード)の在庫に一万枚の余剰が生じていることを発見し、原告に報告したところ、原告は、小林に対し、右余剰カード(本件カード)を別管理するよう命じた。
(三) 平成六年一月下旬頃、小林は、棚卸しが近くなったため、原告に対し、本件カードの取扱いを相談したところ、原告は、小林に対し、本件カードを社用車に積み込むよう指示し、平山をポケットベルで呼び出して自宅に戻るよう指示し、同日午後三時三〇分頃、同人が自宅で待機しているところに原告一人で社用車を運転して段ボール箱に梱包された本件カードを運び込み、平山に対し、預かるよう指示して隠匿した。
(四) 平成六年四月五日、平山の実兄から新会社に対し、右隠匿の事実の申告があり、同月八日、同社からの連絡で被告に右隠匿の事実が判明したため、同月一一日、被告は、平山宅から本件カードを押収した。
(五) 新会社による平成六年四月一六日の事情聴取において、原告は平山宅への本件カード持ち出し行為そのものを否定していたが、同月一八日の事情聴取においてこれを認めた。
2 本件懲戒理由の存在及び懲戒解雇の相当性について
右1のとおり、原告は、本来テレホンカード在庫に不符合があった場合、支店長に報告し、その決済を仰がなければならないところ、平成六年二月末と三月末の二度にわたる棚卸しの際にもその報告をせず、その原因を究明することもなく、本件カードを社外に持ち出し、不法に隠匿所持したものであって、本件カードの余剰は帳簿上は全く分からないようにされており、不法領得の意思に基いて行われたことが明らかであって、著しい業務上の不正行為に当たり、前記一6の就業規則六九条一、二、七及び一一号に該当し、懲戒の理由があり、その情が極めて重いというべきであるから、懲戒解雇に相当する。
3 退職金不支給の相当性について
前記一6の就業規則七〇条により、本件懲戒解雇に当たっては、退職金は支給しないことが相当である。
四 原告の主張
1 原告が本件カードを持ち出した経緯
(一) 原告は、平成六年一月中旬、小林から一万枚のテレホンカードの余剰在庫が存在する旨報告を受け、同人に、とりあえず月末の月報締切り報告が出るまで待つように指示した。
(二) 原告は、平成六年一月末のテレホンカード管理帳簿締切り時にも、一万枚の余剰カード(本件カード)があるとの報告を受けたため、小林に対し、とりあえず事務所内の鍵のかかるロッカーで別保管を行い、テレホンカード印刷業者への発送漏れ、受払伝票のチェック等の調査を行うよう指示した。
(三) 平成六年二月にはいると、翌月から被告のテレホンカード販売部門が新会社に移行する関係で、原告及び原告の部下である被告神戸支店公衆電話部社員が多忙を極め、本件カード発生原因の追究ができないまま推移したところ、同月二〇日前後に事務所を移転することになり、倉庫の整理、机の配置換え等を行う必要が生じ、小林から本件カードの保管場所がなく、一時別の場所で保管するよう依頼され、事務所の最寄りである平山宅に保管することとした。したがって、平山宅に本件カードを運び込んだのは、被告が主張するように同年一月末ではない。
(四) 平成六年三月一日、新会社が発足したが、同年四月中旬頃まで社員全員繁忙を極め、本件カードは、平山宅に保管したままになっていた。
(五) 原告は、平成六年四月一六日及び一八日、西日本テレカから事情聴取を受け、同月一九日、二二日及び五月一〇日には被告から事情聴取を受けた。そして、本件に関しては、平成五年一二月二八日から同六年一月四日までの間に何者かが帳簿を操作したことが判明した。しかしながら、原告は、帳簿の操作ができず、また、右期間は出社しておらず、また、仮に横領するならばこのような単純な方法は取らないということを説明して、被告の理解を得た。
(六) その後、被告から本件については何らの連絡もなかったが、平成六年一二月一四日、突然始末書の提出を要求され、同月二四日、原告の横領を前提とした事情聴取を受け、同月二八日、懲戒解雇された。
2 本件懲戒理由の不存在
原告が本件カードを持ち出した経緯は、右1のとおりであって、テレホンカードの在庫過不足が生じた場合には、月末での報告はせず、最低でも二、三か月は調査期間を置き、最終結論を出すような方法を採るのが通常であり、新会社への事務所移転に当たり、本件カードの保管場所がなかったため、平山に保管依頼をしただけで、隠匿したのではなく、忙しさに紛れて返還できなかっただけであるから、原告の措置は何ら不当なものではない。
3 本件懲戒解雇の相当性について
仮に、原告を懲戒に付すべき理由があるとしても、懲戒の処分は公平でなければならない。被告においては、テレホンカードの事故があっても、実害がない場合は、公にせず内々で処理されるのが通常である。本件懲戒解雇は、重きに失し、解雇権の濫用である。
4 退職金不支給の相当性について
仮に、原告に対する懲戒解雇が認められるとしても、就業規則に定められた退職金不支給規定を有効に適用できるのは、労働者のそれまでの勤続の功労を抹消(全額不支給の場合)ないし減殺(一部不支給の場合)してしまう程度の著しく信義に反する行為があった場合に限られる。
原告には、右のような著しく信義に反する行為があったとはいえず、退職金を支払わないことは不当である。
第三争点に対する判断
一 原告が本件カードを持ち出した経緯
前記当事者間に争いのない事実、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、原告が本件カードを持ち出した経緯について、以下の事実を認めることができる。
1 原告は、昭和三九年四月被告の前身である日本電信電話公社に入社し、平成三年四月からは、被告神戸支店公衆電話部部長として、テレホンカードの管理責任者の地位にあり、テレホンカードの販売・管理に従事していた。テレホンカードの管理については、堅固な金庫に保管し、毎月末に棚卸しをして、支部長へ報告し、事故があれば、支店長にその事実を報告しなければならないことになっていた。
2 平成六年中に、被告の公衆電話部が解散し、テレホンカード販売部門が、平成六年三月一日をもって、新会社に移行すること、及び、原告が、新会社の神戸支店長になることが明らかになった。新会社への移行といっても、NTTグループの組織変更であって、新会社神戸支店は被告神戸支店と同一ビルに入居することとなったが、事務所が、その保管するテレホンカードと共に、平成六年二月下旬に、ビルの五階から、新会社神戸支店が使用する同一ビルの八階に移転することになった。
3 平成五年一二月二八日から平成六年一月四日までの間に、何者かによって、テレホンカードの在庫帳簿が操作され、帳簿に記載のない在庫として本件カードの余剰が発生した。
4 平成六年一月中旬頃、原告の部下であって、原告と共に新会社神戸支店へ出向する被告神戸支店公衆電話部企画担当の小林が、本件カード(図柄等の記入がなく、換価性の高いいわゆるホワイトカード一万枚。五〇〇万円相当)が余剰となっていることを発見し、原告に報告した。
平成六年一月下旬頃、小林は、棚卸しが近くなったため、原告に対し、本件カードの余剰を支店長に報告するか相談したところ、原告は、小林に対し、右報告せずに帳簿に記載されているテレホンカードと別保管するよう指示し、当時、原告の部下であったが、新会社へ出向しない被告神戸支店公衆電話部企画担当でテレホンカードの在庫管理に従事していた久留島美砂子(以下「久留島」という)の前ではあたかも余剰テレホンカードが存在しないかのように同月末の棚卸しがなされ、支店長にも不符合がない旨報告された。
5 原告は、平成六年二月下旬ころ、小林に対し、本件カードを事務所から持ち出して社用車に積み込むよう指示した。原告は、同日、原告の部下であって、原告と共に新会社神戸支店へ出向する同支店公衆電話部第一公衆電話担当の平山をポケットベルで呼び出して、事務所から約一・二キロ離れた場所にある平山の自宅に戻るよう指示し、同日午後三時過ぎに、同人が自宅で待機しているところに、原告一人で社用車を運転して段ボール箱に梱包された本件カードを運び込んだ。その際、原告は、平山に対し、久留島が不在であったので本件カードを持ち出せたことを話し、誰にも口外せずに当分本件カードを預かるよう指示した。
その後、小林が、本件カードの余剰発生原因あるいは持ち出し先を調査することはなかった。
6 平成六年三月一日、新会社神戸支店が発足し、原告は、新会社神戸支店長として、これまで同様にテレホンカードの販売・管理業務に就いた。
7 平山が本件カードを保管していることは、当初、被告又は新会社の他の社員には知られていなかったが、平山は、本件カードを保管することに不安を覚え、三月七日ころ、新会社神戸支店課長代理埴淵吉弘に対し、三月一〇日ころ、新会社大阪中支店に勤務している実兄の平山徳夫に対し、それぞれ相談した。
8 平山は、同年四月九日、新会社関西支店支店長永井某からテレホンカードを持っているのではないかと質問され、同月一一日、同支店長に本件カードを引渡した。
9 原告は、新会社による同年四月一六日の事情聴取において、平山宅への本件カード持ち出し行為について、言を濁していたが、同月一八日の事情聴取においてこれを認めた。
二 本件懲戒理由の存否について
右一認定事実によれば、本件懲戒理由として、テレホンカードの管理責任者である原告が、本件カードを、余剰原因を究明することなく、会社施設外である部下の社員宅に移し、隠匿した事実を認めることができ、これは、被告の前記第二の一6の就業規則六九条一号、二号、七号、一一号に該当し、客観的に合理的な懲戒理由と認められる。
これに対し、原告は、新会社への事務所移転に当たり、本件カードの保管場所がなかったため、平山に保管依頼をしただけで、隠匿したのではなく、忙しさに紛れて返還できなかっただけである旨主張し、これに沿う供述(書証略、原告本人)をする。
しかし、平成六年三月一日に新会社が発足し、テレホンカードの管理が引き継がれる予定なのであるから、余剰の存在を帳簿上明確にすべき必要性があったにもかかわらず、原告は、これを怠り、支店長にも報告していないこと、同じビルの中での事務所移転に当たり、換価性の高いホワイトカードを会社外に保管すべき理由がないこと、原告は、平成六年三月に新会社が発足すれば、帳簿上の記載がなく、もはや発見が困難で、返還を催促される可能性も少ない状況にあった本件カードを持ち出していること、及び、新会社への移行後についても、テレホンカードの販売・管理をすることが、新会社ないしその支店長である原告の職責であって、忙しさに紛れて本件カードの返還ができなかったというのは不自然であり、また、原告の業務がそれほど忙しかったことを認めるに足りる証拠はないことに照らすと、原告の右供述は、にわかに信用できない。
三 本件懲戒解雇の相当性について
原告は、本件懲戒解雇が重きに失し、懲戒権の濫用である旨主張する。
しかし、前記一認定事実によれば、原告は、本件カード持ち出し当時は、被告神戸支店公衆電話部部長、その発覚時は、新会社神戸支店長というテレホンカード管理責任者の立場にありながら、換価性の高いホワイトカード一万枚(五〇〇万円相当)を隠匿したものであること、当時被告公衆電話部は、新会社への移行期であり、テレホンカードの在庫など会社財産の引継のために、よりいっそう在庫管理を厳格にすべき状況にあったにもかかわらず、むしろこの機に乗じて隠匿がなされたことが窺われること、結果的には、実害がなかったとはいえ、平山の申告がなければ、帳簿上の不符合がなく、新会社が発足したことにより、被告にも、新会社にも隠匿行為が発覚せずに隠匿が成功する危険性の極めて高い行為であったこと、右隠匿行為は、企業秩序のみならず明らかに社会秩序に反する行為であって、被告の社会的信用を著しく損なうものであることに照らせば、本件懲戒解雇は正当であって、懲戒権の濫用とはいうことができない。
四 退職金不支給の相当性について
被告の就業規則七〇条(書証略)によれば、懲戒解雇の場合、退職手当は、支給しないとされているところ、退職金の性格からは、このような退職金不支給規定を有効に適用できるのは、労働者のそれまでの勤続の功労を抹消(全額不支給の場合)ないし減殺(一部不支給の場合)してしまう程度の著しく信義に反する行為があった場合に限られると解するのが相当である。
前記一認定事実によれば、原告は、被告に約三〇年間勤務したものであるが、右三認定のとおり、原告は、本件カード持ち出し当時は、被告神戸支店公衆電話部部長、その発覚時は、西日本テレカ神戸支店長というテレホンカード管理責任者の立場にありながら、本件カードの持ち出しに及んだものであって、右隠匿行為は、企業秩序のみならず明らかに社会秩序に反する行為であって、被告の社会的信用を著しく損なうものであるから、それまでの勤続の功労を抹消してしまう程度の著しく信義に反する行為があったといわざるを得ない。
したがって、被告が、原告に対し、就業規則に従い退職手当を支給しないことは、不当とはいえない。また、原告は、希望退職が認められる以前に懲戒解雇されているので、転進特別一時金及び希望退職一時金の請求権も有しない。
五 以上の次第で、本件懲戒理由が存し、本件懲戒解雇及び退職金不支給もやむを得ないものと認められるので、原告の請求は理由がない。
(裁判官 西﨑健児)